読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

 人の日記を読むのは好きだが、自分で書いた日記を読み返すことはない、ということに薄々気づいたので、事実を記録していく日記を付けるのはもうやめた。

 元々、記憶の連続性への不安から日記を書くことにしたのだ。昔を振り返った時に、過去を流れのあるものとして認識できない、過去が断片でしかないことが不気味で怖かった。断片と断片の間に自分で無い何者かが挟み込まれているんじゃなかろうか。だからその隙間を埋めるために毎日日記をつけようとした。だが、それに何の意味があるのだろう。日記を書いたところでそれも断片にすぎないのだ。1日のうち日記を書く時間などたがたが1時間程度。断片を足し合わせることに何の意味があるっていうんだライプニッツ

 だがもし断片と断片の間隔をなるべく小さくしていけば、過去を流れとして認識することも可能かもしれない。24時間自分の行動の全てを記録するのはウェアラブルカメラを使えば容易そうだが、それだって1秒間に30回だか60回だか連写しているだけに過ぎないではないか。1/60秒と2/60秒の間には何が潜んでいる。

 もっと細かく時間を切断する。テレビとかで使われているスローカメラを使う。だが残念ながら僕の目は何万分の1秒を認識できない。僕が認識できるような速さで、ゆっくりコマ送りする必要があるのだ。残念ながら人生にはそのコマ送りを全部見るだけの時間が無さそうだ。

 となると過去は結局断片でしかないらしい。だからどんなに嫌な瞬間が自分の中に刻まれ続けていたとしても、断片と断片の間に何か楽しいことがあったのかもしれないと自分を慰めるのだ。断片を思い出した夜はそうやって過ぎていく。まあせいぜい皆必死になって人生の思い出とかいう種のものに手を出してればいいさ、隙間が満たされれば満たされる程、逃げ場がなくなっていくんだからな。

 

 2017.2.7 17:30